幼少の頃から、活発で聡明、情に熱い性格だった市村清は、生涯において数多くの人たちと交流し、幅広い交友関係を築きました。その中から特に縁の深かった方々にご登場いただきました。※敬称略、順不同 肩書きは当時のもの市村清交遊録8市村を校長に、若手財界・政界人、作家、ジャーナリストなどを生徒として集う交流会メンバーは40〜50人を数えたこともあった市村学校の様子、前列右から2人目が市村(年代不詳)親友村山 長一池田回生病院長佐賀中学の同窓生。市村の生涯の親友であり、主治医。市村の最期を看取った人物。親友柴田 邦輔三井物産上海時代からの親友。理研感光紙九州総代理店時代、金策に苦しんでいる市村に2000円を送って来た。市村はこの時の友情を思い出すたびに涙した。恩師岡 泰雄千栗八幡神社社掌塾を開塾。佐賀中学を中退した市村が通い、その教えに感銘を受ける。晩年は千栗八幡の宮司として余生を送ったが、社殿の改造に際し、市村は匿名で大金を寄贈した。(初代貴乃花後援会副会長)久留米支部長池田勇人氏(前列中央)を囲む市村学校のメンバー。2列目右から2人目が市村 (1953年)中曽根康弘氏(前列中央)の国務大臣入閣祝賀会。前列右端が市村 (1959年頃)市村学校親友・恩師感謝しても感謝しきれない大事な存在恩人人生の転機に大きく関わった人たち田中虎三郎弁護士父・豊吉の親戚にあたり、幼少から世話になった人物。上海での疑獄事件の際も市村の弁護をした。竹崎八十雄私立大江高等女学校長熊本での保険外交の最初の加入者。勧誘のため、毎日のように訪れる市村の人柄にほれ、加入を決断。訪問9回目、熊本に来てから69日目の出来事であった。吉村 吉郎富国生命保険 佐賀代理店店主江戸時代から続く穀物商「吉村商会」店主で、保険代理店店主、理研感光紙九州総代理店店主を兼ねる。市村に感光紙の営業を勧め、代理店の権利を譲渡。桜井 季雄理学博士理研陽画感光紙の発明者。技術者・桜井と販売の責任者・市村の協力関係、人間関係が深まる。友人 事あるごとに知恵や力を貸してくれた人たち風間 銀蔵共栄貯金銀行本店上京して共栄貯金銀行本店に勤め出した頃の同僚。戦後、三愛と明治記念館の経理課長として入社。市村も信頼を寄せる。石坂 泰三経団連会長市村は石坂に私淑、石坂は市村をかわいがった。1961年、市村から日本リース設立への協力を懇請される。岩堀喜之助平凡出版社社長(市村学校教頭)池田 勇人総理大臣佐治 敬三サントリー社長森下 泰森下仁丹社長藤田 一暁フジタ工業社長中曽根康弘国務大臣藤森 真生みすず商会会長中尾 栄一元通産大臣能村龍太郎太陽工業会長渡辺 和美大崎電気工業社長山崎 富治山種証券前社長片山 豊マルマン社長野口 壮吉富国徴兵保険会社父・豊吉の実弟。市村に保険の仕事を勧めた人物。松尾 静磨日本航空社長佐賀出身の技術者。市村に石油事業への進出を進言。五島 昇東京急行電鉄社長前野 徹東急エージェンシー社長蓬郷 峰保サンデー毎日記者中原 功東京急行電鉄秘書三浦甲子二朝日新聞記者坂本 藤良評論家野田 一夫経営コンサルタント今泉 耕吉東京大学工学部卒佐賀中学時代の同級生。1962年から三愛石油専務、日本リース創立時に副社長に就任。市村の死後、社長に就任。大川 博東映社長中央大学の同窓生。銀座に東映会館を建設する際、市村が尽力した。
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