雪の日の人情‒社員の思いやりが人の心を動かす 波乱万丈の市村の人生は、どの時代を切り取っても面白い話、感動する話、あり得ない話……でいっぱい、まさにエピソードの宝庫です。今回はその中から「アイデア」「粘り強さ」「人間性」「不屈の精神」をポイントに編集部が選んだ7つをご紹介します。これをきっかけに、次は『茨と虹と読んで、創業者の全体像に迫ってみてはいかがでしょうか。 〝木枕をいくつか並べれば将棋盤になる。文字や線を書く墨は煙市村清の生涯』(尾崎芳雄著)や市村清の著書等々を※三愛会HPで公開中容疑で逮捕され、5カ月間も上海の留置所に入れられていました。た本を読んで過ごしていた市村でしたが、同房の男たちは暇を持て余していました。 「何かやることないかなあ。将棋でもやりたいなあ」 「将棋か。よし、僕がなんとかしよう」突のすすを水で溶かせばいい。問題は駒だなあ。そうだ、トイレットペーパーの芯の厚紙が使えそうだ“ 道具に皆大喜び。さ、与えられた条件の中で最高のアイデアを探す面白さを知ったこの体験は、のちの「アイデア社長」のスタートラインでもあったといえましょう。中国の大東銀行に赴任していた市村は、身に覚えのない横領の取り調べや拷問を除けば退屈な中、妻の幸恵に差し入れてもらっ工夫を重ねて完成した一組の将棋無から有を生み出すことの楽し中国の大東銀行が閉鎖し、佐賀に戻った市村は富国徴兵保険熊本支部の外交員として働き始めました。教師、医者、弁護士など市内の知識階級をターゲットとして勧誘を開始、同じ家を何度も訪ね、訪問した家には手紙も書きました。しかし、2カ月あまり頑張っても契約は1件もまとまらず、さすがに精根尽き果てて、「東京へ逃げようか」と妻に弱音を吐くほどでした。年も押し迫った12月25日、「せめて大■日まで頑張ってください」と妻に背中を押されて、竹崎という女学校校長の家へ9度目の訪問をしました。すると、思いもかけず竹崎氏が笑顔で迎えてくれたのです。1945年夏、終戦。戦後日本の中心は銀座になると確信した市村は、新店舗を銀座4丁目角につくろうと、早速土地の確保に動き出しました。しかし、土地所有者の一人であった佐野屋足袋店の当主の老未亡人から拒否され続け、進展がないままに季節は秋から冬へと過ぎていきました。ある大雪の日のこと。その老未亡人が一人で事務所に訪ねてきました。 「今日は最後のお断りをするつもりで来ましたが、たった今、気持ちが変わりました。土地は市村さんにお譲りします」驚いて訳を尋ねると、雪と泥で汚れた足元を見た受付の女性が履いていたスリッパを脱 「やあ、来ましたね。何度も来てくれてありがとう。手紙も読ませてもらいました。私は教育者ですが、あなたの誠意あふれる態度に私の方が教えられましたよ。今度見えたら契約しようと待っていたんです」初めて契約が取れたその日は熊本に来てから69日目、〝誠意と努力は人の心を動かす〟と改めて知った日でもありました。いで、「どうぞ履き替えてください」と自分の前に■えてくれたというのです。 「こんな優しい気遣いのできる社員さんのいる会社なら、絶対信頼できると思ったんです」 46年夏、食料品店「銀座三愛」オープン。開店までの軌跡には社員の思いやりもありました。編集部セレクトエピソード7セブン挿絵:「まんが 市村清物語」(すぎうらサイキ・画)より市村清の10 アイデア将棋の駒はトイレットペーパーの芯粘り強さ保険の初契約はスタートから69日目
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