三愛会会誌 174
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佐賀時代(1900〜19年)サラリーマン時代(1920〜28年)市村清ヒストリー■同 時代の社会の動き(1900年〜70年)市■■■原■で、市村豊吉、ツ子の長男として生まれる。                           4月4日、佐賀県三養基郡北茂安村(現 みやき町)4月、北茂安小学校に入学。①4月、県立佐賀中学に進学。県下筆頭の名門校に北茂安村から初の合格者となる。7月、貧しさゆえの肩身の狭さから佐賀中学を2年で中退。家業の野菜売りを始める。共栄貯金銀行久留米支店に事務見習いとして採用される。②上京を志し、共栄貯金銀行本店に転勤。中央大学専門部(夜間)法科に入学。③7月、日中合弁の大東銀行に入社するため中央大学法科を3年で中退。9月、大東銀行の経理係として北京に赴任。その後、上海分行に移り、会計主任、支店長代理、取締役へと昇進。④1月26日、松岡幸恵と結婚。⑤4月、金融恐慌の影響を受け、大東銀行は閉鎖。※年表の西暦年号の下2けたがそのまま市村清の年齢に当てはまります。 今年は、リコー三愛グループ創業者・市村清がこの世に生を受けてから125年の節目の年。これを記念して、本誌を「市村清生誕125年」特集号としました。波乱万丈の市村の人生を振り返ります。③ 共栄貯金銀行の同僚と市村(右)。昼は事務員、夜は学生として勉学に励む (1920頃)西暦主な出来事特集・市村清生誕125年・津田梅子、女子英学塾(後の津田塾大学)開校・官営八幡製鉄所が操業開始・八甲田山で199人死亡和条約)・米国フォード、自動車の大量生産開・辛亥革命(孫文)・明治天皇崩御、乃木希典殉死・パナマ運河開通⑥  始   功   2りを披露・「特殊相対性理論」(アインシュタイン)ルスとアート・スミスが来日、宙返 10月、富国徴兵保険株式会社に入社、熊本支部配属。 1927(昭2)1925(大14)13・大正政変15・日本は大戦景気となる14・第1次世界大戦勃発(〜18)12・「タイタニック号」沈没16・アメリカの飛行家チャールズ・ナイ1922(大11)1920(大9)10・韓国併合成る09・伊藤博文暗殺事件08・ブラジルへの第1回移民出発1916(大5)1914(大3)1913(大2)06・満州鉄道設立07・初の日米対抗野球試合04・日露戦争(〜05)始まる05・ポーツマス条約締結(日露戦争の講03・ライト兄弟が人類初の動力飛行に成1907(明40)1900(明33)02・日英同盟に調印01・第1回ノーベル賞授賞式00・パリ万国博覧会開催④ 大東銀行上海分行にて(前列中央が市村 1927)⑥ 生家前にて(1927 夏頃)⑤ 結婚式(1925.1.26)② 両親、弟たちと佐賀北茂安の生家にて(1918頃)。この4年後には、一家の大黒柱として両親への仕送りを始めた① 小学校では常に首席であった(1910、小学4、5年生頃)17・ロシア革命(ソビエト政権が樹立)佐 賀 時 代11・アムンゼンが南極点に到達

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