三愛会会誌 No.177
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訪問インタビュー市村清新技術財団会長事務局長市村清新技術財団の本部は、市村夫妻が暮らしていた邸宅を事務所として活動していましたが、老朽化等を理由にこのたび建て替えることが決まりました。旧市村邸を訪問できる最後の機会に事務所にて、中村会長と林事務局長に財団の事業や今後の活動などについて伺いました。ーー 市村清新技術財団の前身「新技術開発財団」設立のいきさつについて中村 市村清は1929年に九州で理研感光紙の中村林高氏氏6                  嘉隆財団の過去・現在・未来販売店を起業し、その時に理化学研究所の大河内正敏所長と出会いました。理化学研究所は日本をリードする最先端の科学技術をはじめとする総合研究機関であり、大河内氏の科学技術によって日本を興すという考えに市村も大変感化され、琴線に触れたのだと思います。市村は戦後の荒廃した日本の状況を見て、資源に乏しい日本の復興のためには、科学技術とそれを支える人材を育成すること、これこそが自分の使命であると心に誓ったわけです。この使命感は財団の設立につながる一歩になったのかもしれません。ーー 理化学研究所はじめ、市村の時代から続いている関係は中村 理化学研究所とは理研が開発した陽画感光紙の販売会社を市村が任された当時から付き合いが続いています。戦後は宮家を縮小するなど厳しい時代がありましたが、そのときに市村が援助したのが三笠宮家で、以来、三笠宮家とのご縁も続いています。三笠宮寛仁殿下に初代総裁としてご支援いただき、現在は彬子女王殿下が総裁を継がれ、毎年市村賞の贈呈式ではお言葉を頂戴しています。ちなみに、財団の組織は理事会と評議委員会で構成されており、理事会は執行、評議委員会は財団の運営や業務の方針など重要課題の意志決定を行っています。どちらも代表理事がトップを務めていますが、日々の活動には事務局長である林さんの役割が大きく、大変だと思います。ーー 事務局長としての役割について私が事務局長に就任したのは2024年です林 が、実はそれまで財団のことはあまり知りませんでした。着任してから市村清の人脈のすごさや財団の活動が世の中にもたらしている功績の素晴らしさを知り、自分も責任重大だと思っています。事務局長の役割としては、各事業を確実に行っていくことなど多々ありますが、総裁である彬子女王殿下の市村賞贈呈式へのご臨席をお願いしたり、宮家や大学の著名な先生方へのご依頼ごとや調整などに気を使います。ーー 「市村賞」について中村 我々の財団と同じように、科学技術をはじめ経済研究、基礎研究などさまざまな分野において、表彰や支援を行う財団や機関が国内には多数存在します。かなり細分化されていますが、科学分野を志す方々の多くは市村賞をご存じと思います。本賞の賞金3000万円も魅力ですよね。それから、市村財団の特徴は表彰や支援の対象を日本国内に限定していることです。グローバル時代ですが、日本の科学技術の発展に寄与し、日本の経済社会を豊かにしたいと願った市村の遺志を受け継いでいるからです。市村学術賞は本賞のほかに貢献賞がありますが、貢献賞は受賞年齢を45歳までとしました。長年の研究成果と実績によって表彰されることの多い世界ですが、表彰される研究者の年齢がどうしても高齢になってしまいがちです。そこで新たにこの賞は学会でもユニークな賞として認知されています。林 市村賞は、設立の趣旨に沿ってただ表彰するだけでなく、その後も研究者との交流や支援を続けており、近年は年に1度、市村賞受賞記念フォーラムを開催し、基調講演や市村賞受賞者によるパネルディスカッションを行っています。誰でも参加できますので、研究者だけでなく大学生の参加者も多いです。また、サイエンスライターの竹中村 高 会長45歳以下の若い研究者に絞った賞を作りました。

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