会誌
すくらっぷ帖
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三愛会の機関誌として1954年に創刊した三愛会会誌。創業者・市村清の思想をはじめ、会員会社の動向や社員同士のコミュニケーションツールとして発行されてきました。
「会誌すくらっぷ帖」では、今までに会誌に掲載した記事の中で、特に人気の高かったものや、発行時の時代を反映した興味深い記事を厳選して紹介していきます。
三愛会会誌115号(1995年発行)
市村清は、1957年にアメリカのカメラショーに列席した際に立ち寄ったマイアミの素晴らしい景観を見て、桜を寄贈することを決めました(実際はオーキットを寄贈)。そして61年にマイアミ市のワトソン島に日本式庭園を造園し、「市村マイアミ日本庭園」として寄贈しました。その後、92年に庭園を襲った大型ハリケーンにより3年に及ぶ修復工事が行われ、95年に盛大な完成式典が挙行されました。その様子は三愛会会誌115号に掲載されています。
115号PDF版(抜粋)を閲覧する(PDF 9.8MB)
115号の特集は「自己実現」。難しいテーマに思うけれど、読者の皆がイメージするのは、“充実感”や“生きがい”、“目標の達成”。皆も、自己実現の達成に向けてチャレンジ出来ているかな?それと、115号を発行した1995年は1月に阪神・淡路大地震が発生した年。グループ会社も社員自身も大きな被害を受けたんだ。その様子が掲載されていて、今読んでも心が痛むよ…。
ハリケーンの被害に遭い、生まれ変わった「市村マイアミ日本庭園」は、1995年4月21日、雲一つない青空の下修復完成式典が盛大に開かれたんだ。当時のマイアミ市長はじめ、リコー三愛グループを代表して三愛会・三善信一会長も参列して、テープカットや記念植樹も行われたんだよ。畳や障子を入れればお茶室にもなる“三愛堂”や多宝塔、ほてい像、庭園の沿革や意義が記された石碑等々、日本庭園の良さを感じられる設計になっているんだ。
マイアミ市は庭園の完成を記念して4月21日を“リコ―三愛グループの日”と定めて、庭園の一般公開をすることにしたんだよ。この時の模様は地元のテレビや新聞でも大きく取り上げられたんだ。その後もハリケーンの被害に遭ったり紆余曲折があって、現在はワトソン島の向かい側に移設されてマイアミ市営庭園「市村園」として存続しているよ。だけど、ボクの名前を冠した庭園が、遠いアメリカの地に今もあるなんて光栄なことだね。