今月の市村清

Monthly

“今月の市村清”―2020年2月編―

スポーツへの深い理解

田畑政治 たばたまさじ との出会い

画像:東京オリンピック(1964年)
東京オリンピック(1964年)

2020年、オリンピック・パラリンピックイヤーが明け、1964年の前回オリンピックからはや56年が経過しました。
2回目となる東京オリンピックを盛り上げようと、昨年は大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」が放映されましたが、視聴率は厳しいものがあったようですね。
ところで、そのドラマの後半の主人公であった阿部サダヲ扮する田畑政治。日本に初めてオリンピックを招致した人物ですが、この田畑政治と市村清が接点を持っていたことは意外と知られていません。

田畑に市村を紹介したのは、当時文部省の体育審議官でのちに日本体育協会の事務局長となった中村茂という人で、市村と同郷の後輩にあたります。「見識も広く、人情にも厚い立派な人物で、スポーツにも理解があるから是非お会いしてみたまえ」ということで引き合わされたのが最初でした。
田畑の市村評はすこぶる良好で、財界人が共通して身に着けている嫌味な体臭は少しもなく、身辺の清潔なむしろ教育者という印象を持ったそうです。市村も田畑に好印象を持ち、付き合いは始まりました。特にスポーツを通じて日本の次代を担う青少年の人間づくりは二人共通の関心事でした。
市村は日本代表選手団が海外遠征に行く際には物心両面で支援し、リコーの駐在員がアテンドしたり、東京オリンピック開催中は各種記録のプリントや整理にリコーの精密機械を技術者付きで無償提供して、オリンピックの成功に大いに貢献しました。

1963年、佐賀市の市村記念体育館(旧佐賀県体育館)の落成開館式には田畑も招かれて列席したそうです。そこで巻き起こった感激の嵐を自身の目で見て、深い感銘を受けたと田畑は記しています。

画像:旧佐賀体育館落成式(1963年)
旧佐賀体育館落成式(1963年)
画像:落成式に参加する市村(1963年)
落成式に参加する市村(1963年)

田畑はスポーツを通じてのお付き合いだけではなく、私的にもほんのりとした温かさで包んでくれる稀有な教育者として市村を慕っており、淋しくなったりいらいらしたりする時は話しに行っていたようです。「市村さんの顔を見ると、気持ちがなごんで己を取り戻すことができ誠にありがたいことであった」と言っています。

終戦から9年後の1954年という早い時期に市村がリコーにラグビー部を設立したのもスポーツを通して会社の一体感を醸成しようとの考えで、弟の茂人さんの進言を実現したものでした。市村はスポーツの力を信じていたのですね。
さて、今年の東京オリンピック・パラリンピックはどのように運営されるのでしょうか?

今日のひとこと
〜市村清の訓え〜


今日のひとこと 〜市村清の訓え〜