今月の市村清

Monthly

“今月の市村清”―2023年1月編―

市村夫妻がこよなく愛した

―熱海 清恵荘―

2023年 新しい年が始まりました。昨年はFIFAワールドカップ カタール2022大会での日本代表の活躍に歓喜し日本中が明るくなりました。今年も明るい一年になりますよう、リコー三愛グループは互いに切磋琢磨して共に力強く邁進してまいりましょう。

市村清は陽画感光紙の九州総代理店の権利を譲り受け、29歳の時に起業しました。持ち前の努力が実を結び感光紙販売でめざましい営業成績をあげると、その働きぶりが理研の大河内所長の眼にとまり本社の感光紙部長に招へいされました。このときに九州総代理店を返上したため市村の手元には大金が残りましたが、「預金して利息だけで楽に生きていこうとすれば怠惰な人生になってしまう」と考え、静岡県・熱海市に約12,000㎡の土地を買って別荘を建てました。別荘は夫婦の名前から一字を取り「清恵荘」と名付けられました。

清恵荘の造園づくりにもこだわった市村は全国各地から樹木を取り寄せ植樹しました。そして造園作業に加わるため毎週末、ひとりで東京駅から東海道線に乗って熱海に通いました。そのときの服装は地下足袋を履き、首には手ぬぐいを巻いていかにも庭師ふうの出で立ち。その姿で2等車(グリーン車)に乗車するとある時、車内での出来事で一見紳士風の乗客から『この席はお前らのような奴が乗る席ではない』と言われ、とっさに殴りつけてやろうと思ったものの車内で騒ぐのは我慢。熱海で下車するとその客も降りてきたので『身なりで人を判断するとは何事ぞ』と一喝したところ逃げて行ってしまったそうです。

市村夫妻にとってここは、丹精込めた庭園を眺め、周囲の雑音からも解放されて心穏やかに過ごせる特別な場所であったに違いありません。年末年始や夏季休暇など長い休みのときは休息を兼ねて清恵荘で過ごしました。春には桜が、秋は紅葉が美しく四季折々いろいろな姿を見せて心が癒されました。幸恵夫人は庭内を流れる箱根山麓の清流でワサビを育てることも楽しみにしていました。
晩年市村亡き後、清恵荘は保養所として社員に開放されました。幸恵夫人が時折、庭園の手入れやワサビの収穫などしていると、庭内を散策中の社員が幸恵夫人と気づかずに「おばさん、ご苦労様です。」と声をかけてしまい、社員との会話が弾んだそうです。こういうところは幸恵夫人の控えめな人柄がうかがえます。

現在は市村清新技術財団の植物研究園として利用されている清恵荘ですが、市村が見ていた原風景に触れることもできると思うと訪れてみたいと思いませんか。財団では春と秋の年2回、庭内を一般開放しています。今年も市村が植えた桜が開花すると思うと、春が待ち遠しいです。

画像:社員と記念撮影 清恵荘にて(1963年9月)
社員と記念撮影 清恵荘にて(1963年9月)
今日のひとこと
〜市村清の訓え〜


今日のひとこと 〜市村清の訓え〜