今月の市村清

Monthly

“今月の市村清”―2023年9月編―

読書

~炎のような向学心~

今夏も、猛暑に見舞われ、未だに残暑は厳しいものの、やはり9月の声を聞くと、あの暑さとは違う季節が巡ってきたのだと思えるのです。日暮れも少しずつ早くなり、読書好きにとっては待ちわびた季節の到来。市村清も無類の読書好きだったようです。

郷里の『北茂安村誌』における市村を紹介する記述によれば、佐賀中学時代の彼は、世界の文豪の作品をむさぼり読むことで若い情熱をたぎらせ、大文豪になって、人間の真実の姿を書いてみたいという夢を持っていたといいます。(「市村清と佐賀」山本長次著)
「たられば」ですが、佐賀中学を辞めていなければ、世界に比肩する文豪になっていたかもしれません。しかし現実は、佐賀中学を中退し、岡塾に通い、尊敬する岡先生の姿を見て「独学でもあんなに偉くなれるのだ。自分もうんと本を読まなくてはならん」と持ち前の向学心に火が点くのでした。

炎のような向学心は、佐賀だけにはとどまっておれず、東京へ行ってもっともっと沢山のことを学ばなければならないと考え上京。そして、東京では働きながら勉強し、中央大学夜間部へ入学。起居をともにした友人によれば、市村の生活は昼となく夜となく読書と議論と勉強に明け暮れる毎日であったといいます。そんなときに出会ったのが共産主義です。子供の頃の貧しい境遇を思い出し、貧富の差がなければ…、この共産主義だったならば…、と当時は公には禁止されていた思想だけに、友人から借りた数冊を、下宿の部屋に閉じこもり寝食を忘れ、むさぼり読むのです。結局、体調を壊し死の淵まで行くのですが、そこから脱するきっかけを与えてくれたのも「本」。白隠禅師の『夜船閑話』で、病魔は病気を恐れる心が創り出す、という言葉に触れ翌日から、早朝マラソンに乾布、冷水摩擦。1カ月も続けると、死ぬ寸前だった体に英気がよみがえり、死を免れることになるのです。

やがて、転地療養も兼ねて、北京へ行き、見事に健康回復。幸恵夫人とも出会い、結婚。無実の罪で150日間投獄されたときに、同じ房で一緒になった囚人達の願いをかなえて、将棋盤と駒を作って、彼らに娯楽を与えたことは有名ですが、この間も、外にいる幸恵夫人には、毎日のように本の注文があり、それを毎日届けるのが夫人の日課だったようです。
保釈となり留置場生活から解放されたときには、乗用車1台では運びきれないほどの本だったといいます。

さらに夫人は回顧します。
酒も煙草もほんの少したしなむ程度だったので、お小遣いのすべては本代に消えていました。朝ごはんを食べながらの新聞は仕方がないとしても、晩ごはんを食べながら本を読むのには、悲しい想いをさせられたといいます。
食事しながらの読書など決して褒められたことではないが、その集中力の凄まじさは驚嘆に値するものでした。

貧しい家に生まれ、学歴もなく、健康にも恵まれず、そんな市村が成功の道を進んで行ったのは並外れた行動力とともに、すさまじい知識欲を満たすための膨大な読書量があったのです。

今日のひとこと
〜市村清の訓え〜


今日のひとこと 〜市村清の訓え〜