第2回

おしゃれ婦人服の専門店

三愛

終戦直後、販売・サービス業へ事業転換すると決めた市村は、1945(昭和20)年11月、「三愛商事」を設立し、理研感光紙の販売部門を担うとともに、サービス業進出への拠点としました。

さらに、東京の中心街は戦後も銀座になると確信して、1946(昭和21)年8月20日、4丁目角に「三愛」をオープン。 “食料品や日用品を適正価格で売る店”として開店早々から評判を呼び、たちまち銀座の名店や老舗と肩を並べる人気商店となったのです。

しかし、数年がたち、国内の食糧事情が安定してくると、食料品を中心とする商いにかげりが見え始め、大衆奉仕の薄利多売の商法も経営悪化に拍車をかけました。

そこで市村は、いくつかの支店を整理し、銀座店を専門店に業態変換して再出発することを決断します。

“特徴のある専門店にしたい。何を売ればよいのだろう”

日々思案を重ねていた市村でしたが、ある日、立ち寄った百貨店で女性客たちの会話を耳にして、突然アイデアがひらめきました。

早速会社に戻ると、数人の女子学生アルバイトを集め、女子トイレにこもって女性客たちの会話を書きとめるよう指示したのです。

2か月ほどたって、集まったデータを見た市村は、購買力の中心が働く若い女性たちに移っており、しかも収入のほとんどをおしゃれに使っていることを知りました。

「婦人のおしゃれ専門店・三愛」の誕生。

奇抜なマーケット・リサーチから生まれた店は、連日、若い女性客でいっぱいに。服飾製品はまだ統制中でしたが、そんな中で三愛が婦人服専門店として見事に変身を遂げたのは、常にオリジナリティーを追求した結果ともいえるでしょう。

まもなく併用した下着類の専門店とともに、銀座三愛の人気は揺るぎないものとなりました。

なお、世界的ファッションデザイナー・高田賢三氏は、60年代、渡仏する前の数年間、三愛に勤務し、ジュニア向けの服を担当していました。のちに当時のことを「花の銀座のど真ん中で仕事ができるなんて夢みたいだった」と語っています。

(2015年、事業ごとに売却して解散)

今日のひとこと
〜市村清の訓え〜


今日のひとこと 〜市村清の訓え〜