今月の市村清 Monthly
“今月の市村清”―2026年1月編―
心をひとつにする
2026年、新たな年を迎えました。今年は冬季オリンピック・パラリンピック、FIFAワールドカップ開催の年。世界中がスポーツの素晴らしさを体験する1年になることでしょう。そして翌年2027年にワールドカップの開催を控えた日本ラグビー界ではNTTジャパンラグビーリーグワン 2025-26が開幕しました。
1954年リコー三愛グループ各社が上昇気流にあった時代、市村清は異業種多角経営を心に描いていました。その為にこれらの社員の心を一つにして、士気を鼓舞する必要を感じていたのです。
ある日の昼時、市村は隣家に住む弟の茂人を呼び出し相談しました。
「社員の愛社精神を高め、しかもPR効果の高いスポーツは何だろう」と問いかけました。
茂人は「それならラグビーです。闘志をむき出しにしてぶつかる、いかにも男性的な激しいスポーツですから、社員の心を掻き立てること間違いなしです。」と答えると
「・・・そうだな、ラグビーは俺の性にも合っているスポーツだ。よし、それでいこう」と即断即決でした。後にリコーブラックラムズ東京となるリコーラグビー部が生まれた瞬間です。その後茂人は桐生高工時代のラグビー経験を活かし、ラグビー部長となります。市村は母校の中央大学ラグビー部に働きかけるなど選手集めに奔走し、練習環境を整えるなど、社を上げての取り組みを進めていきます。
とはいえ、なかなか成果が出ずにいるときのこと。
1957年対富士フィルム戦の親善試合に23対6で勝利したことを市村に報告すると大変喜んだ市村からチームに50,000円の小切手がポンと贈られたといいます。大卒初任給が6~7,000円の時代だから大変大きなお金といえます。勝負に負けることの大嫌いな市村の喜びを表すエピソードです。
また、1968年念願の全国社会人大会初出場の年、第1戦、第2戦と驚異の逆転劇で駒を進めいよいよ準決勝。相手は前年の覇者近鉄、その対戦当日市村は居ても立ってもいられず、わざわざ東京から大阪の花園ラグビー場に駆け付け直接選手を激励します。結果は6対21で負けてしまったが市村は試合後、戦い終えて泣いている選手たちの姿に強く感動を覚えます。この試合の約11ヶ月後の同年12月16日に市村は他界したため、この時の激励は、市村にとってラグビー部員と共有した、最も印象深い光景の一つになったことは想像に難くありません。その後、ラグビー部は市村の思いを胸に快進撃を続け1970年には全国社会人大会で初優勝を果たします。そして1972年と73年には日本選手権を2連覇し、日本一の栄光に輝き「和製オールブラックス」と呼ばれる最盛期を迎えます。
現在、リコーブラックラムズ東京はプロチームとして活動しており、リーグも年々レベルが高くなる中で選手たちは毎年ピッチで躍動する姿を見せてくれています。ワールドカップ2023年大会ではアマト
ファカタバ選手が日本代表としてトライを決めるなど活躍しています。
リコーブラックラムズ東京の試合はいつも社員、ファンクラブの会員が黒いジャージや服を身に着けスタンドを真っ黒に染めています。リコーブラックラムズ東京のユニフォームが黒い理由の一つに、すべての色を混ぜると“黒”になる。だから“黒のジャージ”には選手のカラーを一つにまとめるという思いが込められているといいます。
まさに市村が思い描いた、スポーツを通じて“みんなの心を一つにする”ことが71年後のスタンドで多くのファンと選手が一体となって闘うことで実現できているのではないでしょうか。
2025年12月には市村の故郷・佐賀県で初のホストゲームを開催しました。もしこのスタンドに市村が居たら、きっと満面の笑みでみんなと一緒に声を枯らして応援していたでしょう。