今月の市村清 Monthly
“今月の市村清”―2026年8月編―
何が一番の幸せか、それは後悔のない人生
―コンペイ糖論―
酷暑の夏、そして81回目の終戦の年を迎えました。日本は1939(昭和14)年頃から時局は急速に緊迫を深め戦争の色が濃くなり軍事産業にも従事していた理研コンツェルンは伸張していました。市村清も理研コンツェルン傘下の12社の重役に就き、総帥である大河内所長のもと一番の若手として事業を推進していました。大河内氏の側近はお世辞やご機嫌取りをする人たちばかりで悪い話はなるべく伏せていい話ばかりを持っていく。それに気づいた市村が折りに触れ大河内氏に進言をすると「市村という男は最近、自分の力を過信して先生以上と思い上がっています。」などと大河内氏に側近が触れ込み、ついに大河内氏の逆鱗に触れることになりました。それならと市村はすべての重役の職を辞して、理研との縁も終わりにしようと考えていたとき仲裁に入ってくれた友人から「君の直情はわかるつもりだが、ここはもう一度考えてもらいたいんだ。本当は大河内さんの方が困っていることに気付かないのか。このまま君が身を引いては先生は社会的な批判を受けるだろう。謝れとは言わないが、先生のために理研光学1社だけでも残ってはどうだろう。」と助言しました。市村は冷静さを取り戻し深く反省し、大河内氏の判断で理研光学1社だけを残し、他の11社の経営からは辞任しました。
正義感が強く世の中の不正や道を外れた行いに目に瞑ることのできない性格であった市村は先輩や友人たちから「実業家に向いていない」と揶揄されたものでした。幸恵夫人からも「あなたは純情過ぎます。実業家ならばもう少し世間様と妥協されたらどうですか。」と言われ、市村自身もそうかもしれないと思い尊敬していた柳川平助将軍を尋ねました。柳川将軍は「実業家の中には損得のために妥協する人が多いがあなたにはそれが見えない。それは実業家として希少価値があるということです。世間ではあなたがコンペイ糖のように角が多いからそれをすり減らして丸くなれと言っているんだろうが、コンペイ糖の角を無くしたらそれは小さな玉になってしまう。つまり人物がひと回り小さくなってしまいます。無理に角をすり減らして小さく生きるよりは思い切ってそのままの生きかたを貫きなさい。人間、何が一番の幸せかといえば、それは後悔のない人生です。あなたは生まれながらにして持った性格をそのまま生かしてそれで失敗したって悔いることはないでしょう。悔いのない人生こそ大切だと、私は言いたいですね。」と。この言葉に市村は心から感銘を受け、「性格的欠点は治らないものだ。そこにばかり気を取られず、むしろ自分の長所を生かすことによって自然に欠点も目立たなくなってゆくのだ。よし、実業家としてもう迷うことなく生きてやろう。」という新たな決意が腹の底から湧き上がってきました。
ところで、大河内氏が理研傘下から理研光学を切り離し市村に事業を託したことで、敗戦後に理研コンツェルンが受けた財閥解体の影響を受けることなく、市村は事業に邁進することができました。リコーグループの今日の発展は大河内氏の賢明な判断のお陰と言えるでしょう。