今月の市村清
Monthly
“今月の市村清”―2025年5月編―
市村清の功績を語り継ぐ町民憩いの場
―市村記念公園―
佐賀県三養基郡北茂安村市原(現みやき町)にある「市村記念公園」は、元は市村の生家のあった場所です。生家跡地が更地になる前の家屋は昭和元(1926)年~昭和2(1927)年頃に建てられた杉の木をふんだんに使った二階家でした。しかし、この杉造りの家に市村は住んだことはありません。市村が19歳になるまで過ごしたのは、杉造りの前の家で、廂の傾いた茅葺き屋根の家でした。市村は22歳で中国に渡り銀行勤務をしていましたが、27歳で帰国するまでの間、父 豊吉に仕送りをしていました。豊吉はそれを元手に筑後川の堤防建設のために伐採された杉並木の一部を買い入れ自宅の新築に充てました。図面も自ら指図して引くほどの熱の入れようで、帰国した市村が妻の幸恵と共に帰郷した際にすっかり様変わりしている実家を見て驚きを隠せませんでした。柱も天井も見事な柾目の杉材を用いたもので、仕送りをした金を貯金することなく家の建て替えに浪費する父の姿を微笑ましく思ったのでした。この家は最愛の母 ツ子が1944年に亡くなり豊吉も市村が住む北馬込の市村邸に転居してしまうと、市村家の人々がその後いつ頃までここで生活をしていたのかは不明ですが、2001年4月、市村の生誕百年を記念した記念事業の一つとして、生家(70坪)を所有していた実弟 市村茂人氏(2013年1月没)と、隣家の峯 重信氏が所有していた土地を町へ寄贈するのに合わせ三愛会が1,300万円を投じ、市村記念公園として整備し北茂安町に寄贈しました。総面積は500平方メートルあり、公園には市村の胸像が設置され台座には三愛精神「人を愛し 国を愛し 勤めを愛す」が刻まれ、市村の功績を顕したプレートが取り付けられました。また生家に植えられていた樹齢百年のモチの木やキンモクセイ、ソテツなども移植され、新たにソメイヨシノやサツキ、夏の日差しを避けるための藤棚も作られました。
2001年4月4日に行われた市村記念公園の竣工式と北茂安町への贈呈式には北茂安町の最所義雄町長(当時)はじめ地元の方々約90名とリコー三愛グループの関係者約110名が一堂に会し、盛大に祝賀会が催されました。最所町長からは「市村先生のご功績を語り継いでいくためにもこの公園をしっかり守り、大切に使わせていただきます。」とご挨拶をいただきました。以来四半世紀の時が流れた現在も市村記念公園は町の人々に守られ、憩いの場として利用されています。毎年12月には三愛会九州支部の会員会社の皆さんが集まり、清掃活動を行うことも恒例となっています。この公園はリコー三愛グループで働く皆さんにとって拠り所であり、地元の皆さんにとっても市村の功績を語り継ぐ大切な場所としてこれからも存在しつづけます。
