
市村清の訓え Saying
持ち前の努力と自身の力を信じて事業家の道を突き進み、次々と新たなビジネスを成功に導いた市村清。多くの人との出会いや経験を通して獲得した人生観やビジネスにおける流儀、さらには幼い頃に習得した心構えやアイデアを生み出すためのヒントなど数々の言葉を残しました。市村清が残した金言とも言えるメッセージを「市村清の訓え」としてご紹介します。
市村清の人生観
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明日の自分との競争
今、非常に厳しい競争の中にいる。それは人と人との競争、企業と企業との競争、さらに言えば、時間との競争、つまり、今日の自分と明日の自分との競争でもある。このことをはっきり認識して一層闘志を燃やし、そして、誠意を忘れずに仕事に進まねばならない。
『そのものを狙うな』 より
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縁を大事にすること
袖振り合うも他生の縁”とは、なかなか滋味のある言葉だ。縁も“真心”によって結ばれるものは何よりも強い。利害だけで結ばれたものは必ず破綻がくる。事業の根底は、真心でなくてはならない。
『市村清実践哲学』 より
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必ずお母さんを幸福にしてあげる
幼少時代の母のイメージといえばみじめな姿ばかりが残っている。不幸な母を1日も早く幸福にしてあげたいという一念が人生の最大の原動力であったと信じている。
『San-ai』 No.21/ 『市村清実践哲学』 より
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観光日本の一助に資したい
銀座4丁目の「三愛ドリームセンター」は、「日本一のこの地に、世界一珍しい建物を建設して観光日本の一助に資したい」という思いから実現した。奈良・法隆寺の五重塔にヒントを得たという総ガラス張りの円筒型ビルは、オープンから半世紀を経て、今なお銀座4丁目角のランドマークである。
『そのものを狙うな』 / 『茨と虹と』 より
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気が狂う前に気絶する
横領の容疑で上海の留置場に入れられた。連日の厳しい拷問に、これ以上我慢できない、気が狂いそうだと思った瞬間、気を失った。人間には気絶という保身の道が与えられているという貴重な体験であった。
『光は闇をつらぬいて』 より
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経営の根本義は、一歩一歩積み重ねて儲けることである
ひと当てして儲けようという心を捨て去ろう。リコー三愛グループの社風としてボロい儲けはせぬという信念を確立しなければならない。
『市村清実践哲学』 / 『茨と虹と』 より
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子供は苦労させるべきではない
近頃、子供の頃の苦しかった生活の夢ばかり見る。そんな夢を見ると、ひどく体にこたえる。子供に苦労をさせるのは親の残虐行為である。私が終生太らなかったのは、その苦労のためである。
『市村清実践哲学』 より
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転んだら、起きればいい
30代は、人生の基礎工事期間である。30代の処し方で人生の勝負の浮沈が決まると言えるかもしれない。安易な妥協はしないで、自分の信じるところに向けて邁進しよう。転んだら、起きればいいではないか。
『市村清実践哲学』 より
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困難な道を選ぶか、安易な道を選ぶか
36歳の時に熱海に別荘をつくった理由の一つは、ばく大な維持費のためにさらに働かなくてはならないという困難な状況に自分を置くためであった。困難な道か、安易な道か、いずれの道を選択するかで、一生が決まる。
『儲ける経営法 儲かる経営法』 / 『市村清実践哲学』 より
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最初からうまくいくことはない
事業に成功するにはどうしたらいいか。どんな仕事も最初からうまくいくというのはありえない。努力に努力を重ね、一つずつ欠点を除いていって、初めて物になる。事業とはそういうものだ。
大和銀行札幌支店主催講演会『中小企業経営の諸問題』(1962)/ 『市村清講演集』 より
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事業さえ残れば良い
私は事業が命。仕事に打ち込むことが私の生きがい。主治医は仕事をすれば命が縮まると言うが、事業さえ残れば良いと思っている。
『市村清実践哲学』 より
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事業の本質は世の中のため人のために尽くすことにある
事業というものは、金儲けだけが目的であってはならぬ。あくまで何らかのかたち、意味での社会奉仕をしようという念願のもとに正しいことを真面目にやること、そうして、自然に儲かるというものでなくてはならない。
東京・丸の内ホール『清和会での講演』(1958)/ 『市村清実践哲学』 より
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事業は人なり
事業の根本は人間の力である。社員が自らの仕事に誇りを持って、創意工夫し、努力するとき、活力ある企業活動が展開される。
『三愛会会誌』 No.108 より
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自社製品に自信を持て
セールスマンたるもの、自社製品には絶対の自信を持ちなさい。商品を信じれば売ることが非常に楽しくなる。“売る楽しみ”を持っているセールスマンは本物である。
『そのものを狙うな』 より
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指導すれど監督せず
「火事場の馬鹿力」ではないが、人間は環境によって、実に大きな能力を発揮する。逆に、気分が落ち込むような環境ではその能力はゼロになる。従業員たちの自己拡張欲を十二分に発揮させるため、「指導すれど監督せず」、すなわち、できるだけ自由に、しかも放任しないという経営方針を掲げた。
『そのものを狙うな』 より
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士は己を知る者のために死す
男子は自分の価値を分かって待遇してくれる人のためには命を差し出すということ(出典『史記・刺客伝』)。大河内正敏博士のバックアップを得て理研感光紙(株)の設立を果たした後、博士の恩に報いる決心をして、仕事に邁進した。
『光は闇をつらぬいて』 より
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自分の損得に関する限り盲目は一人もいない
俗に「目明き千人盲目千人」(道理や物事の本質が分かる人もいれば分からない人もいる)というが、良いものを安く売れば目明きだけが集まる、という私の信念が婦人おしゃれ専門店「三愛」を成功させたと思う。
『光は闇をつらぬいて』 より
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従業員に罪はない
高野精密工業(現リコーエレメックス)の再建を引き受けた時、従業員は一人もクビにしないと約束した。会社が経営不振に陥ったのはすべて経営陣の責任であり、従業員に罪はない。
『茨と虹と』 より
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従業員は事業の協力者
事業を大きくするためには、従業員が心から協力してくれることが肝心。従業員はただの使用人ではなく、大切な事業の協力者である。いわば、生存と利害を共にする運命共同体の一員である。
『そのものを狙うな』 より
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使用すれど所有せず
「物を貸してくれる商売があったらどんなに便利だろう」、長年心に秘めていた思いは、1950年代の訪米視察時に、リース業の存在を知って花開く。1963年、“なんでも貸します”、“使用すれど所有せず”などのキャッチフレーズで日本初のリース会社を誕生させた。
『明日への着眼』 / 『茨と虹と』 より
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人生より友情を除かば、世界より太陽を除くに等し
古代ローマの哲学者、マルクス・トゥッリウス・キケロの名言。真の困難に陥った時、手を差し伸べてくれたのはいつも利害関係のない友人たちだった。
『光は闇をつらぬいて』 より
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信念を貫くことが最善の道
自分が正しいと思うことに臆病風は禁物である。商売だけではない。信念を貫くことが人生において自分の運命を切り開いていく最善の道となるのである。
『光は闇をつらぬいて』 より
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真の人間の価値は愛の深さ
すべての動物に自己保存があるように、人間も本能的に自己を愛する。だが、人間は自己を高めていくにつれて、家族や周囲の人々、祖国、世界の全人類を愛するようになる。真の人間の偉さを決定するものは、その人の持つ「愛」の深さと広さではないだろうか。
『三愛精神』 より
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青少年のスポーツ振興のために
将来を担う青少年の心身を健全に育成することこそが、国家や社会の発展の最大の基礎であると考える。故郷への恩返しとして、「佐賀県体育館」(現 市村記念体育館)を寄贈した。
『茨と虹と』 より
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世界一の技術者をつくれ
1957(昭和32)年、リコー社内に技能養成学校を設置。ここで学んだ従業員の多くが、技術や製造部門の中枢を担うようになった。「世界一の技術者をつくれ。社長以上の給料を払う」と叱咤激励した、技術開発力を重んじる市村の姿勢が企業DNAとなって、OA機器のリコーへと成長させた。
三愛会HP『今月の市村清』 より
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世界一の実業家はお釈迦様
お釈迦様は私利私欲を捨てて、誰もが幸福になるようにと願われた。爾来、世界の何百億もの人がお釈迦様に心を捧げてきた。事業家も衆生済度に近い、大衆のためを目指さなければ、真の繁栄はありえない。
東京・丸の内ホール『清和会での講演』(1958)/ 『市村清実践哲学』 より
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世界に類のない産業集団をつくりたい
私は自分の過去の体験から、従業員を使用人でなく事業の協力者だと思っている。働くことに何の心配もつきまとわない、世界のどこにも類例のない独特の「市村産業団」をつくりたい。
『私の履歴書』 より
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損得を忘れてしたことが、好結果に
納期を守るために赤字覚悟で貨車からトラック輸送に変更する、引退する取引先の所長の引っ越しを全従業員を連れて手伝いに行く、・・・損得勘定なしの行動だったが信用を高めることにつながった。求めてはかえって得られず、損得を忘れての強い責任感による行為が意外な好結果をもたらす。
『人の逆をいく法』 より
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常に真実を見よ
物事は見方によっては全く逆になることがあり、それが誤解を招くことにもなる。社員相互において、常に注意して戒心して、真実を見抜く目を養ってほしい。真実が分かれば、誤解がなく、そこに相互の信頼と心からの団結が生まれる。
『三愛』 No.3 / 『市村清実践哲学』 より
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闘魂が燃えている限り、行く道をさえぎるものはない
どんな逆境にあっても、希望を失わず人生を生き抜こうとする闘魂が燃えている限り、その人の行く道をさえぎるものは何もない。私は闘魂ひとすじに、闇の壁を破ってきた。
『闘魂ひとすじに』 より
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長い目で見ると、天は極めて公平である
敗戦に乗じて、泡沫のごとく不当不正の富を積んだ戦後派は、5年目くらいになると、例外なしに泡のごとく消え失せてしまい、正しき実力者が目立ち始めた。悪銭身につかず、不正は永続せず、天は極めて公平であることを知る。
『市村清実践哲学』 より
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何が一番幸せか、それは後悔のない人生である
自分を押し殺して小さく生きるより、思い切って自分の生き方を貫こう。たとえ、それで失敗しても悔いることはない。悔いのない人生こそ大切だと思う。
『闘魂ひとすじに』/ 『市村清実践哲学』 より
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日本の技術革新のために
日本の技術革新のために役立ちたい、日本の将来を担う科学人を育成したい。「新技術開発財団」(現市村清新技術財団)の設立は、市村の最後の夢の実現であった。
『茨と虹と』 より
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人間の幸福は高くて深いところにある
人生の真の幸福とは何か。本能的な欲求が満たされれば、それでよいのか。幸福とは、心の奥底の高くて深いところにあるのではないだろうか。真理探究の気持ちを起こさせて、それが科学追究になり技術追究になり、未知の境地を発見する。これなどは、非常に香り高く、美しい幸福ではないか。
『明日への着眼』 より
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裸で生まれてきたから裸で帰る
「裸で生まれてきたから裸で帰る。築き上げた財産は世のため、人のために使いたい」。市村の最後の願いは、「新技術開発財団」(現市村清新技術財団)設立という形で結実した。
『三愛会会誌』 No.131 より
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光は闇をつらぬいて
人生というものはいかなる逆境、悲運に遭遇しても、希望さえ失わなければ、光は全く消えてしまうものではない。光はむしろ闇の中にいる時にこそ、最も鮮明な輝きをもって見えてくる。
『光は闇をつらぬいて』 より
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人の行く裏に道あり 花の山
市村の座右の銘。人情の常として、困難な道より安易な道を選びたくなるものだ。しかし私は、金も望まない、地位も欲しがるまいと、あえて人とは逆の道を選び、一途に進んできた。すると、道は自然に開けてきた。
『儲ける経営法 儲かる経営法』 / 『人の逆をいく法』 より
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人を愛し 国を愛し 勤めを愛す
「愛」こそ平和の中で行う仕事の根幹でなければならない。「人を愛する」こと、自分さえよければという考えは捨てよう。「勤めを愛する」こと、生活が豊かでなければ人を愛することはできないから、楽しく働ける環境をつくろう。「国を愛する」こと、人を愛し、勤めを愛して、豊かな生活を築いていくと、やがて社会に対する愛につながる。「三愛」は私の事業の根本精神である。
『市村清実践哲学』 より
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身を棄ててこそ浮かぶ瀬もあれ
窮地に陥った時も、事態を冷静にとらえ、物事の推移を見極めれば、やがて活路を見出すこともできる、という例え。さらに言えば、この浮かぶ瀬さえも考えないで身を棄ててみることが大切だと思う。
『市村清実践哲学』 より
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儲ける経営と儲かる経営
明治記念館は利益を度外視して、多くの人たちの人生の旅立ちを祝福したいという思いで始めた事業だが、結果は大成功だった。儲けようという気持ちでは限界があるが、世の中のためにと信じてやれば、自然と儲かる、そして、儲かるのは無限である。
『儲ける経営法 儲かる経営法』 / 『茨と虹と』 より
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予言者は突如として予言するものではない
かねがね庶民の声を聞いて、その不平・不満を知り、夜も眠らずに改革を考えた上で予言するのが、本当の予言者である。
『市村清実践哲学』 より
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世の中のお役に立ちたい
市村は時代に先駆けて企業のフィランソロピー(社会貢献)、メセナ(文化支援)を実施。母校・北茂安小学校講堂、佐賀県体育館(現 市村記念体育館)、マイアミ市日本庭園(現 イチムラ・ガーデン)の寄贈や、新技術開発財団(現市村清新技術財団)の設立等は、世の中のお役に立ちたいという思いの具現化である。
『三愛会会誌』 No.108 より
市村清の発想法
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アイデアはすべて体験に根差している
根拠なしの雲をつかむような工夫だけでは事業として結実しない。アイデアとは、地に足着いた発想とは、すべて体験と実験、不断の努力から生じるものである。
『明日への着眼』 より
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アイデアは疑問から生まれる
アイデアの生まれる根本は、第1に現状を否定すること、第2に疑問を持つこと、第3にその疑問を追究することである。世の中にアイデアの種はいくらでもある。
『明日への着眼』 / 『市村清実践哲学』 より
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アイデアを出そうと思ったら
アイデアは簡単には生まれない。何かのヒントが非常に重大だ。そのヒントを見逃さないためには、何から何まで絶えず関心を持ち続けることが最大の効果をあげる。
『市村清実践哲学』 より
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グチや夢にもヒントが潜む
新しい商品のヒントは大きな夢と、足元の小さなグチや不満などに、その種が潜んでいる。グチは快適の夢と裏腹のものであるからだ。電気釜は、ご飯がうまく炊けないという若夫婦のグチにヒントを得て開発された。
『そのものを狙うな』 より
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計画は5年先にピントを合わせる
普通の商品なら1歩先んずる、さらに恒久的なものでは3歩ないし5歩先を見ておくのが、市村経営の流儀である。札幌のホテル三愛は、国民の生活水準の向上も見据えて、5年先にピントを合わせて計画した。
『明日への着眼』 / 『市村清実践哲学』 より
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時代に逆行するアイデアは意味がない
新しいアイデアを生み出すには、時代の移り変わりを見極め、時代を見通すことが大事である。市村は、1947(昭和22)年に明治記念館を再建、62(昭和37)年、日本初のリース会社を設立した。
『三愛会会誌』 No.108 より
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専門家に大発明なし
大発明、大発見は専門家によってなされることは非常に少ない。なぜなら、専門家はその分野を深く掘り下げていて円の中心にいるから、ヒントを得る機会が少ないのである。かえって、円の周辺を出たり入ったりしている専門外の人の方が大発見をする。大きな板ガラスの製法は自動車会社のフォードの発明である。
『明日への着眼』 より
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創意工夫とは
上海での監房生活の間に、同房者に頼まれて将棋の道具を作る。駒の材料はトイレットペーパーの芯、盤は4つ合わせた木枕、文字や線を書く墨は水で溶いた煙突のスス・・・。創意工夫とは、考え、想像できる人間の頭脳の素晴らしさにある。何事においても、懸命に創意工夫すれば、道は開ける。
『茨と虹と』 より
市村清の処世法
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アイデアだけでは仕事はできぬ
アイデアを考え出す力を10とすると、それを企画にまで高めるには30の力が要る。さらに実行するのには100の力が要る。アイデアさえあればすぐ事業が成功するような安易な考えでスタートして、思いもかけぬ痛手を被ることが非常に多い。
『明日への着眼』 より
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アイデアとは、イタチの最後っ屁みたいなもの
追い詰められたイタチは必死である。その余裕のない真剣さが、事業においても血路となる名アイデアを生むのである。とことんまで追い詰められて、苦しまぎれに放った時、初めて決定的な実用価値のあるものが生まれてくるものだ。
『そのものを狙うな』 / 『市村清実践哲学』 より
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一対一の約束は必ず実行する
会社同士の紙の上での約束を仮に破ることがあっても、人間一対一の約束は必ず実行するよう努めてきた。
『市村清実践哲学』 より
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お金よりも信用が大切
無理して儲けても、もしその反面、信用を失ってしまえば大きなマイナスだと思う。お金は大切だが、信用の方がもっと大切である。信用を得るには一生懸命やればいい。お金は無理せずに、自然に儲かるものでなければならない。
『明日への着眼』 より
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男にほれられるには
男にほれられるには、勇気、知能、情、信義など、優れている面をできるだけ多く持つことが大前提となるが、自分の欠点をさらけ出すことも必要だ。あまりにも偉い人間は近寄りがたい。尊敬されるのとほれられるのとの違いはその辺にある。
『そのものを狙うな』 より
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お客さまもセールスマン
感光紙1本の注文でもすぐに届けるようにしていた。すると、「感光紙はあそこの店で買え」と、お客さま自らが宣伝してくれるようになった。どんな小さなお客さまにも誠心誠意尽くすこと。そのお客さまはきっと君たちのセールスマンになってくれる。
『そのものを狙うな』 より
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お世辞に注意
お世辞がうまかったり、ただ気に入られようと立ち回っている人に、本物はいない。会社を良くしようという立場にあるものは、お世辞などに惑わされず、もっと奥深いものを絶えず見ている。目先のことばかり気にする器の小さい人間には、本物を見分けることができない。
『San-ai』 No.30 「邱永漢氏との対談」/ 『市村清実践哲学』 より
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家庭半分、会社の仕事半分
家庭生活はどこまでも重んじていかなければならない。家庭がうまくいって愉快な気持ちでいられてこそ、精一杯仕事の面でも働けるわけだ。家庭半分、会社の仕事半分、という気持ちでやっていくのが一番良いと思う。
『ダイヤモンド近代経済』(1958)/『三愛会会誌』 No.113「人を愛した経営者」 より
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顔色だけを見る
会議などにおいて、何も発言せずに社員たちの顔色だけを見ていることがある。ちゃんとやっている社員は、視線が合うと強い目で見返してくる。すぐ顔を伏せたり目をそらしたりする社員は信用できない。
『市村清実践哲学』 より
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仕入れ先を大事にする
お金を生んでくれるのはお客さまであるが、その商売の元は品物である。つまり、仕入れあっての商売であり、仕入先は事業の協力者の一人であるのだから、お客さまと同様に大事にしなければならない。
『そのものを狙うな』 より
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酒後に人を見よ
日本人はよく間違いを起こしておいて、酒の上のことだから勘弁してくれと言うが、これくらい卑怯なことはない。酒を飲んだときこそ、その人の本性が現れる。最初に酒後の姿を見ておけば、無責任な人間と手を携えることはあるまい。
『そのものを狙うな』/ 『市村清実践哲学』 より
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人事は情におぼれず、適材適所で
人間というものは7割か8割まで感情の動物で、理屈では2割か3割しか動かない。しかし、感情的に悪くなるとどうにもならない。人事は感情ではなく理屈で適材適所の配置を決めないと弊害が出る。
東京・山一ホール日動火災海上保険主催講演会『経営の近代化について』(1962)/ 『市村清講演集』 より
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人生の転機は紙一重
熊本で始めた保険外交の仕事はなかなか成果が上がらず諦めかけたが、妻の言葉に奮起し、最初の契約を獲得した。
「自分は事が成就する一歩手前で思い迷っていた。成功するも失敗するも紙一重。諦めてはいけない」と肝に命じた。
『San-ai』 No.18 / 『市村清実践哲学』 より
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好き嫌いで区別するな
人間は感情の動物であるから、好き嫌いに任せて人を用いれば、同じような型の者ばかりが集まって、事業そのものに偏りが生じる。人を選ぶには、人の資質や能力を見る目、すなわち理性の目が必要であり、従業員を好き嫌いで区別してはいけない。
『そのものを狙うな』 より
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セールスマンは社会学の勉強が必要
セールスマンは自分の売る商品の知識は当然必要だが、それ以外、どんなお客さまにも合わせられる社会学の勉強がさらに必要である。お客さまがいつ来てくれるかと楽しみに待ってくれるようなセールスマンを育てなければならない。
『市村清実践哲学』 より
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セールスは説得力
セールスすること、銀行でお金を借りること、従業員をうまく使うこと、上の人を自分の思うようにうまく使うこと、・・・結局、世の中に立っていくには、人を動かす力、説得力が必要である。
岐阜・正眼寺『経営夏季講座での講演』(1968)/ 『市村清実践哲学』 より
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そのものを狙うな
「鳥や魚を捕まえる時は、見えているそのものを狙うな。それらの習性や周囲の状況を考え、動く先を狙え」、幼少期に父から受けた教えである。事業の経営においても、目先の小さな営利だけを狙うのではなく、対象を動的に多角的につかむということ、合理性の追求が大切である。
『そのものを狙うな』 より
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退却作戦ができたら一人前
進撃作戦は誰でもできる。前へ前へと号令をかけることは楽である。しかし、陣を敷いて、そして退却することは、勇気と冷静な判断がなければうまくいかない。事業の退却作戦も非常に難しい。
『市村清実践哲学』 より
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他人の立場を理解する
大ヒットをおさめた婦人のおしゃれ専門店「三愛」の発想は、デパートの女子トイレでの会話から女性たちの趣味嗜好を探るという奇抜なマーケットリサーチから生まれた。成功に秘訣があるとすれば、他人の立場を理解し、他人の立場から物事を見る能力を持つことである。
『茨と虹と』 より
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手強い相手ほど面白い
人間は千差万別。一人一人全く違った人間に買う気を起こさせるのは、興味あることである。手強い相手ほど、手応えがあって、どう説得するかファイト満々という気持ちになる。
日経ホール『東京地区リコー・セールスマン大会での講演』(1968)/ 『市村清実践哲学』 より
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できないではなく、できるという前提に立つ
かつて人間は飛べないと思っていた。しかし、ライト兄弟は、人間ならば飛ぶ方法を発見できるはずだ、という前提に立ち、飛行機の発明に至った。最初からあきらめては何もできない、必ずできるという前提に立って考えようではないか。
大和銀行札幌支店主催講演会『中小企業経営の諸問題』(1962)/ 『市村清講演集』 より
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特長を持つ者を10人結集すれば、エジソンに負けない
エジソンは発明家として企業家として、一人で10の特長を兼備する類いまれな人物であった。われわれはそんな特長の一つを持つ者を10人結集すれば、エジソンに負けないのだ。
『市村清実践哲学』 より
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人の逆をいく法
西郷隆盛は「名も地位も、命もいらぬと言っている人間ほど怖い人物はない」と言っているが、自分も人が欲しがるものは一切欲しがらず、ただ人間として立派に生き抜こうと、“人の逆をいく”決心をした。
『人の逆をいく法』 より
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人を支える厚意
私が不遇になった時、多くの人が厚意を示してくれた。その厚意に報いるためにも、絶対再起せねばならぬと勇気付けられた。本当の善意は人を動かすのだ。そして、最も命がけで力になってくれるのは、やはり女房である。
『市村清実践哲学』 より
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人を見る目は上下皆同じ
人事を決めるために社内全体で人物考査を実施したところ、役員と従業員の評価がほとんど一致した。上下、縦横どちらから見ても人を見る目は皆同じだと知った。上役たちは、少しでも威厳があるように振る舞おうという了見は捨てた方がよい。
『そのものを狙うな』 より
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100万円の客より100円の客
人は大きな問題には真剣になり、小さな問題は軽く扱いがちだが、これがそもそもの間違いなのだ。小さなことを重く見て処理しておけば、大きな問題は起こらないし、仮に起こっても軽くすむ。小さなことに対する態度が、成功するかしないかの分岐点なのである。
『儲ける経営法 儲かる経営法』 / 『市村清実践哲学』 より
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部下に対して厳格であってこそ部下はついてくる
部下をかわいがって勢力を伸ばそうと考えることは間違っている。部下の多くは上役の厳しい指導、監督を願っている。えこひいきや抜てきで閥を作ろうとすれば必ず失敗する。
『市村清実践哲学』 より
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歩が大切
社員の電話の応対一つで会社の印象が変わる。将棋の歩(ふ)の使い方で手のうちが読まれるのと同様、末端の社員一人一人をどう動かすか、その能力をどう使うかということは部課長の心掛けなければならぬ最も重要なことである。
『San-ai』 No.46 「升田幸三氏との対談」/ 『市村清実践哲学』 より
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不景気こそ拡張の好機
不景気な時こそ、事業拡大の好機である。建設費が安く済み、建設関係者も喜んで働いてくれる。機械その他の設備用具も良い物を安く購入できる。何よりも、不景気と闘いながら真剣に製造し、販売してつくった会社の基盤は、好景気の時とは比べ物にならないほど堅固である。
『そのものを狙うな』 より
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プラス・マイナス採点法
新事業を始める時や新製品を開発する時に用いた方式。メリットをプラス〇点、デメリットマイナス〇点で採点し、総合点が65点以上になれば実行に移す。物事を始めるには、徹底的な分析が何よりも重要である。
『明日への着眼』 / 『市村清実践哲学』 より