今月の市村清

Monthly

“今月の市村清”―2020年4月編―

市村清と映画作り

―撮られたキスシーン―

皆さんは近ごろ、どんな映画を見ましたか。
2月に発表されたアカデミー賞では、韓国映画『パラサイト 半地下の家族』が、アジア初の作品賞受賞ということでかなり話題になりました。
ところで、実は市村清が生前、映画製作会社の初代代表を任され、合計4つの作品を残しているという事をご存知ですか?理研(リコー)と映画、とても結びつかないかもしれませんが、時は昭和13(1938)年にさかのぼります—。

—当時、日華事変が長期戦の様相を帯びてくるにつれ、国内は準戦時体制から完全な戦時統制の時代に入りました。この年は国家総動員法が成立し、あらゆる生産はすべて軍需に結び付けられていきました。
映画会社も例外ではなく、国策に沿った作品を上映していましたが、陸軍は理化学研究所(理研)に対し科学的な宣伝映画を計画するよう申し入れてきたのです。理研の大河内総帥は悩んだ末、この仕事を市村に命じました。
映画は市村の趣味の一つではあったものの、いざ自分が制作に携わるとなると話は別です。物資不足の時代に機材を揃えることもままならず、納得いく作品を作れる自信が無い旨申し入れましたが、大河内は市村のひらめきに懸けたのです。結果、報道関係者を多数伴った親善使節団がドイツとイタリアを訪問するという情報を得た市村は、記者一人一人に機材を1品ずつ仕入れて帰ってきてもらうという突拍子もないアイデアを思いつき、交渉の末、気が付けばドイツやイタリア製の素晴らしい映像機材が揃っていました。
こうして機材を手に入れた市村は、その年のうちに東京・巣鴨に撮影所を開くまでにこぎつけました。
ところが、のちに開かれた撮影所披露パーティーでとんでもない事件が起きてしまいます。
酔いも回ってすっかりご機嫌になってしまった市村は、パーティーの接客係をお願いしていた女給の一人と“おい、キスをしよう”などと羽目を外して騒いでしまい、それが披露パーティーの様子を記録映画にと撮影していたカメラにバッチリ写っていたのです。それを見た軍の将校は、“このご時世に何ごとだ!”と激怒し、映画製作会社の代表を降りるよう命令しました。カチンときた市村は、将校に向かって“あなたに言われる筋合いではない!”と反論してしまい、そのことがきっかけで軍との関係もギクシャク。市村はわずか2年ほどで代表の座から降りてしまいます。

市村が就任中に発表した映画の中で、日本の鳥類生態写真家の下村兼史が監督を務めた『或日の干潟』は、科学映画コンクールで優勝した名作といわれています。
なお、このエピソードには後日談があります。
市村が映画製作会社の代表から退いた後もいくつか作品を発表していますが、戦後になって、戦争協力映画を製作した責任をとらされて後継者が公職追放になってしまいました。当の市村は追放を免れるという皮肉な結果に…。市村の悪運の強さにはいつも驚かされますね!

*市村は専務取締役に就任したが、社長ポストは空席だったため事実上は市村が社長

画像:市村清と映画作り
私の履歴書 第20回」より出典
今日のひとこと
〜市村清の訓え〜


今日のひとこと 〜市村清の訓え〜