今月の市村清

Monthly

“今月の市村清”―2021年12月編―

『愛の手募金』

—はじまりは市村清のポケットマネー—

リコー三愛グループが毎年年末に実施している『愛の手募金』。昨年も多くの社員の皆さんからの浄財が集まりました。これを原資として、在籍中に亡くなった社員の遺児と障がいを持つお子さんに年末プレゼントをお届けしています。さらに、小学校への新入学プレゼント、中学校・高校への進学プレゼントあるいは就職プレゼントを行っています。
毎年、たくさんのお礼状や感謝状が届き、この活動がご遺族の皆さまの心に寄りそうものとなっていることを実感しています。

さて、『愛の手募金』は社員の発案ですが、その原型は市村のポケットマネーではじまった「市村遺児育英会」にあります。日頃から従業員は「事業の協力者」として大切に思う市村は、在籍中に亡くなった社員の葬儀に参列し涙を堪えるいたいけな遺児の姿に接し、胸打たれたのでした。さっそく市村は三愛会の理事たちに「自分のポケットマネーを出すから従業員の遺児の救済方法をはかるべき」と説いたのがきっかけで「市村遺児育英会」が発足しました。その後、活動は三愛会に承継され、これを補完する形で『愛の手募金活動』がスタートしました。

市村は自伝でこう語っています。
「私は、従業員を自分の使用人だとは最初から思っていない。事業の協力者だと思っている。従って、物質的にも精神的にもできるだけ優遇する方策をとっている。」としてその姿勢は最初から一貫しているのです。福岡で感光紙代理店業を拡張し、はじめて雇った3人の少年たちは高等小学校を終えたばかりの14、5歳の少年たち。給料は相場の5円より6割増しの8円にし、その分は幸恵夫人が家事を節約して工面したのでした。また、3度の食事も市村夫妻と共にし、決して差別しなかったのです。名前を呼ぶときも、市村は「〇〇君」、夫人は「〇〇さん」と呼び捨てにせず、一人の人間としての人格を尊重したのでした。多感な少年たちは、夫婦の思いやりに感激し自ら進んで仕事に励んだといいます。
市村の脳裏には、自身の貧窮した少年時代のひとコマひとコマが脳裏に浮かび同じ苦労をこの少年たちにはさせまいという思いがあったのでしょう。

『愛の手募金』『愛の手プレゼント』は、市村清の率先行動に端を発した、リコー三愛グループならではの愛情あふれる活動なのです。

画像:愛の手 ご遺族(1967年頃)
愛の手 ご遺族(1967年頃)
今日のひとこと
〜市村清の訓え〜


今日のひとこと 〜市村清の訓え〜