今月の市村清

Monthly

“今月の市村清”―2022年7月編―

“地方時代”の幕開け

―東北リコーの設立―

市村清は、55年前の1967年7月、宮城県南部に位置する柴田郡柴田町に東北リコー(現リコーインダストリー株式会社 東北事業所)を設立しました。ちょうど日本経済は高度成長期にあり、日本製品の海外輸出が盛んに行われました。
リコーは新規事業として立ち上げた電動式計算機「リコマック201」が国内外で好評を博し、生産が追いつかず生産能力拡大のため市村は新たに土地を確保し地方分散化することを決めました。柴田町を選んだのも産業開発を進めたいと願っていた宮城県の熱心な誘致があったからでした。共同会見で高橋県知事(当時)が「東北人はリコーさんの社名のような“利口”ものではありませんが、一生懸命働くのが取り柄です。市村さんが来てくれるなら、県・財界は全面的に協力します。」と言って説得したという逸話が残されています。宮城県の産業発展に寄与したいと考えた市村は、柴田町に東京ドーム約3個分に匹敵する138,000㎡の土地を確保し地方分散型経営の先駆けとなる量産化工場を設立し、“地方時代”の幕開けを牽引したのでした。従業員はすべて地元採用。若さに満ちあふれた会社は輝かしい未来へ向け、大きな第一歩を踏み出したのです。

「リコマック201」はリコーにとって多量に輸出される最初の製品でした。欧米の安全規格の認証を初めて取得する必要がありましたが、現在と違って認可部品がなく難燃性樹脂材料もない状態であったため、アメリカから部品を調達し、さまざまな困難を乗り越え認証を得ることができました。この経験が東北リコーにとって多くの生産技術の確立に繋がり、その成果はすぐに現れ操業1年目にして経常利益をあげることができました。高い生産技術を有した東北リコーはその後もオフセット印刷機、教育機器「マイティーチャー」、プリンターをはじめとする事務機器、印刷機器、機械装置等リコーグループの生産拠点としてその一翼を担っています。

2011年の東日本大震災により被災し、生産設備に大きな損傷が発生し操業停止することもありました。しかし、従業員が一丸となり約1カ月後には全ての設備を復旧させ生産を再開し被災前の活気を取り戻したのは記憶に新しいことと思います。2013年に国内の設計・生産機能の再編により設計部門はリコーテクノロジーズ(株)、生産部門はリコーインダストリー(株)と社名を改めスタートしました。市村清によって誕生した会社は55年を経た今も新陳代謝を繰り返しながら未来に向けて躍進を続けています。

画像:リコマック201 (1967年発売)
リコマック201 (1967年発売)