会誌
すくらっぷ帖

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三愛会の機関誌として1954年に創刊した三愛会会誌。創業者・市村清の思想をはじめ、会員会社の動向や社員同士のコミュニケーションツールとして発行されてきました。
「会誌すくらっぷ帖」では、今までに会誌に掲載した記事の中で、特に人気の高かったものや、発行時の時代を反映した興味深い記事を厳選して紹介していきます。

三愛会会誌63号(1970年発行)

1970年3月、日本で初めての万国博覧会(万博)が開催されました。芸術家の岡本太郎さん作
“太陽の塔”が製作されたことでも知られています。
市村清は生前にこの万博への出展を決め、リコーが申し込み第1号となりましたが、残念ながら華々しく開催された万博を見ることなくこの世を去りました。
1970年に発行された63号では、当時万博の協会会長で市村と旧知の仲だった経団連会長の石坂泰三氏と、市村の遺志を継ぎ新たな三愛会会長となった舘林三喜男が“万博”について対談している様子が掲載されていますのでご紹介いたします。

63号PDF版(抜粋)を閲覧する(PDF 12.6 MB)

光の芸術「リコー館」の全体像がよく分かる表紙だね。
直径25メートルにもなる上部のバルーンは、最大で地上75メートルの高さまで上がるんだ。夜になるとさまざまな色に変化して幻想的な姿を見せてくれて、万博のシンボルの一つになっていたんだって。

ボクがリコー館の出展を決めた時は、リコーが無配から立ち上がり、さあこれからという時で、当時の金額で10億円を投じようと決めたんだ。周りの反対も多かったけど、やってみるとリコー三愛グループの名声も高まって、とても感謝されたんだよ。さまざまな技術を駆使したリコー館の構想はボクがアイデアを出したんだ。ボクの“最後の傑作”だね!

リコー館は、円筒形の建物とその上の巨大なバルーンが特徴なんだけど、バルーンを“天の眼”、その下の円筒形の建物壁面を“地の眼”、建物内部を“心の眼”と表現していて、壁面には昼間でもはっきり見える映像を映し出すことに成功したんだ。
みんな不思議がっていたよ!
ラッキーにも申し込み第1号を獲得することが出来たから、敷地もとても良い場所に出展出来たんだ。

同郷だったこともあって石坂さんにはとてもかわいがってもらったんだけど、石坂さんが一番大事にしているのは“何事にもただ誠意だけ”ということ。私利私欲とは無縁の人なんだ。そんな人だから、あちこちから大役を任されたんだね。万博の協会会長もずっと断っていたけど結局やる羽目になったって。石坂さんの人柄だね!
ボクも、石坂さんが協会会長じゃなければ万博に申し込んでいなかったかもしれないなー!

今日のひとこと
〜市村清の訓え〜


今日のひとこと 〜市村清の訓え〜