第21回

テーマは “理光−よりよき人類の眼−”

大阪万博「リコー館」

1967(昭和42)年4月1日、EXPO’70(大阪万国博覧会)の出展申し込みが開始され、早朝から“参加第1号”を目指す企業が殺到。抽選の結果、リコー三愛グループが幸運を引き当て、うらやましそうな各社代表の前で、市村自ら第1号の申し込みを行いました。

実は当時のリコーは不況の痛手から完全に立ち直っておらず、社内には出展見送りの空気が強く流れていました。しかし市村は、「万博にも出展できない会社なんて魅力がないじゃないか」と言い放ち、出展を決定したのです。

「絶対に人まねでない創造であれ」という市村の指示のもとに、パビリオンの構想が練られていきました。しかし、道半ばの1968(昭和43)年12月16日、市村死去、計画は第2代三愛会会長・舘林三喜男に受け継がれました。

1970(昭和45)年3月15日、EXPO’70開幕。

リコー三愛グループ「リコー館」は、申し込み第1号の恩恵を受けてシンボルゾーン近くに位置し、設計は三愛ドリームセンターの設計者でもある林昌二氏。直径25mのバルーンと高さ20mの円筒状の建物からなり、円筒を囲むように動く歩道が設置されました。

パビリオンのテーマは「理光−よりよき人類の眼−」。“理光”とは人類の歴史の中で真理を照らし出してきた光のことで、その光が未来のよりよき社会を作り出す源泉になるという意味が込められました。

展示は市村のアイデアを基に、人類の眼を表す3つの眼で構成。「天の眼」(フロート・ビジョン)は世界最大の光像バルーンで、夜には赤、青、黄と発光して幻想的に輝き、「地の眼」(スペース・ビジョン)は円筒の外壁面に映像が映し出されました。そして「心の眼」(イントロ・ビジョン)は円筒の内部で、電子音楽が流れ、天上から無数の光が降り注ぐ、瞑想的空間でした。

これらの演出はまさにリコーの技術の結集で、市村のイメージを具現化したパビリオンとなりました。

今日のひとこと
〜市村清の訓え〜


今日のひとこと 〜市村清の訓え〜