今月の市村清

Monthly

“今月の市村清”―2020年12月編―

「おしゃれ専門店・三愛 誕生」

―女子トイレでのマーケティング—

画像:三愛ドリームセンターの婦人服売り場(1963年頃)
三愛ドリームセンターの婦人服売り場(1963年頃)

10月初旬、世界的ファッションデザイナーの高田賢三氏が新型コロナウィルス感染によってパリで亡くなったという衝撃的なニュースが流れました。81歳でした。
「KENZO」ブランドの創始者である高田氏はパリで成功を収める前に、実は22歳から約3年間、三愛でデザイナーとして勤務していたことがあるのです。1960年代はじめ、三愛は既にファッションリーダーとして世の中に君臨していました。20歳そこそこで日本のファッション界の最高峰である“装苑賞”を受賞した若き才能が働く場所として三愛は相応しい所だったのです。

その高田賢三氏をパリに送り出す15年ほど前。
終戦直後から食料品店としてスタートした三愛は、皮肉なことにその食料品を扱い続けるほど業績は苦しくなっており、今で言うリストラを実施しました。保有している土地や建物を売却し、千数百万円という当時では大金を捻出し社員が驚くほどの退職金を支給し雇用問題を起こさず、5店舗から銀座の1店舗だけに整理縮小しました。しかし、新しい事業を何にするか、食料品店からの脱皮に苦しんでいました。
ある日のこと。市村は銀座のとあるデパート内をひとり視察したあと用を足しにトイレに行くと隣の女性用
トイレから話し声が聞こえてきました。
「きょうね、大阪から彼が出てくるのよ。」
「いいわね。」
「お小遣いでももらおうと思ってるのよ」
―ははあ、女性というのはトイレでは秘密のことでも何でも話し合うんだなと興味を引かれ、その瞬間
市村の頭にビビッとひらめくものがありました。
『トイレ内の会話を綿密に調べたら現代女性の生活や考え方がわかり、そこから何か出てくるかもしれない。』
市村は早速、社に戻り人事課長に女子大生のアルバイトを何人も雇い、デパートや銀行などのトイレの個室で「取材」をするよう指示しました。
この奇抜なトイレマーケット・リサーチの結果が「婦人のおしゃれ専門店・三愛」に結実したのでした。

食料品店から女性ファッション専門店への模様替えは専門業者には頼まず、お客様と同世代の女性社員に
意見を出してもらいその中から内装を選び、購買者目線の店内に改装していきました。
果たして、その「おしゃれ専門店」という構想は大ヒットとなり、店は連日若い女性客でいっぱいになりました。
時代背景も、日本は高度成長期のスタートラインに立ち、購買力を持ち始める若い女性の支持を得て、
食料品店の“銀座の三愛”は「おしゃれ専門店」として脱皮に成功し一躍有名になったのです。

以来10年、三愛は高田賢三氏や「ニコル」創業者の松田光弘氏(2人とも文化服装学院「花の9期生」の面々)という若き逸材を受け入れるほどのファッションリーダーになっていくのでした。

画像:中段のトイレの話のあたり
まんが・市村清物語」より出典
今日のひとこと
〜市村清の訓え〜


今日のひとこと 〜市村清の訓え〜